華の色

5人の嵐と4人のNEWS

これまでの私と、これからの君へ

はてなブログに初めて上げるこの記事は、私による私のためのものにしよう。

今までの私がある2組のグループと出逢って感じてきたことを、時に笑ったり泣いたり、言葉にならなかったこと、言葉にしたことを、いつかの私が読んで勇気をもらえますように。








「その曲」に出逢ったのは、小学3年生のある日の朝の会だったと記憶している。
当時、母の影響で洋楽を好んで聴いた私にとって「その曲」はとても新鮮で、明るいのにそれだけじゃなくて、そして何よりとても好きな声だった。まっすぐで、透き通った声。
あっという間に曲を覚えた。毎朝、CDでその曲が聴けることが嬉しかった。ちょっと早口なパート(ラップ)も歌詞カードを見ずに歌えるまで練習した。いい曲だなあと思っていた。ただその当時の私は朝のニュースしか見ないようなアナログ人間で、歌手を検索するとかCDを借りるとか音楽番組を見るとか、そんなことは一切考えつかなかった。平日の朝の会、4分49秒。それだけが「その曲」との繋がりだった。



ジャニーズに興味を持つことなく育った私の運命は、今から約8年前に動き出す。

中学校に上がってようやくテレビドラマやバラエティ番組を見るようになった私は、日テレ系土曜10時に初めて、嵐と出逢った。

かろうじて嵐という名前を聞いたことのあったレベルでメンバーの名前もそれこそ松潤くらいしか知らなかったのだけれど、初回だというその番組は結構おもしろかった。何より、嵐がとても楽しい人たちだった。

周りの友達が時々話題に出す嵐というグループを初めて目の当たりにして、衝撃だったのだと思う。友達の話だと歌って踊るだけの人たちだと思ってたんだけど、なんだ、喋ったり笑ったりもするんだ。と。多分、新種の深海生物を発見した時とかあんな気持ちになるんだろうな(笑)

たった一晩で、私は嵐が大好きになった。
そして、大野智という人に一目惚れした。


あっという間だった。
夜な夜なネットで検索をかけたり、過去の動画を見たりして、どんどん嵐にハマっていった。
初めてタワーレコードで父に頼んで買ってもらった福岡風景コンのDVDを何度も飽きることなく見た。MCで次に誰が何と言うか覚えるくらい。にのあいの に の字も知らないくせに、二宮くんと相葉くんって仲良しなんだなぁ…!と知ったふうに思っていた。*1
数年前に好きになった「Step and Go」を嵐が歌っていたこと、いちばん好きなパートを歌っていたのが大野さんだということを知ったときは鳥肌がたった。全然気が付かなかった。私が興味をもったのは、テレビに映ってるだけで誰かにパスされないと喋らない大野さんだったから。最初から不思議な人だった。私が嵐にのめり込んでいったのは、気になった人が大野さんだったという事実も大きかったと思う。


嵐を好きになったことは妹にしか話していなくて、友達にも親にも言ってなかった。言わなくても大丈夫な熱量だろうと高を括っていた。趣味に没頭しやすい父譲りの自分の性格をまるで分かってなかったのだと、今なら言えるんですけど。笑

案の定、抑えていることができなくなった私は、翌年、とある場所でブログを始めた。これも私にとっての、人間関係を大きく動かす出来事になった。

もともと読書が好きで、文を書くのは苦じゃなかったから、誰も読んでいなくても楽しかった。番組の感想とか、この曲が好きだとか、メンバーの好きなところとか、大野さんの魅力とか。恥ずかしすぎる文体で今の私なら絶対に読みたくない代物だけれど、それでも少しずつ、話しかけてくれる人が増えた。小さなコミュニティだったけど、気持ちの分かち合いができることがすごくすごく嬉しかった。
そのうちに友達と呼べる人たちにも出逢った。ブログ上だけじゃなく、メールのやり取り、手紙、電話、グッズ代行、そして実際に逢うまで。今でも仲良くさせてもらっている友達は両手じゃ収まらない程いて、本当に私は人との巡り合わせの運だけは持っているんだなあと、つくづく思う。いつも本当にありがとうございます。



そしてもうひとつ、私の中のオタク力を爆上げする転機が訪れる。
高校2年のクラス替えだ。

中高一貫校で生徒数も限られていた母校だから、特別関わりがなくとも同学年にいわゆるジャニオタが何人かいることも知っていた。
そのほとんどと、同じクラスになったのだ。

最初の1ヶ月は様子を見つつ、という姿勢だったはずなのに、夏前にはすっかり意気投合していた。
だって、みんなジャニオタなんだもの。根底にかよっている熱量が似ているんだもの。そんなの、仲良くなれないはずがない(笑)

同学年にいるジャニオタ達の担当はバラエティ豊かな面々で、V6、嵐、関ジャニ∞、NEWS、Hey!Say!JUMP、関ジュと、まぁよりどりみどり、なんでもござれ。(のちにセクゾやWEST、キンプリにもハマっていく)
ここで私は、ジャニオタとしての知識をどんどん深めていく。…とは言っても、互いに「自担が番組でこんな笑いをとった」「雑誌の〇〇が超良かったよ!」「でしょ!?間違うはずがないでしょ!?」と褒めあったり、現場行った友達のレポを聞いたり、自宅の録画残量を報告したりとかほぼ一方的に喋ってることが多かったけど(笑)大野さん焦げパン化への危機とか、めっちゃ話聞いてもらってた気がする(笑)



その翌年春、友達のひとりからある誘いを受ける。

「NEWSのライブチケット1枚余っちゃったんだけど、一緒に来ない?」

これが私のふたつめの運命の出逢いとなる。
(ということに、当時の私は可能性すら感じていなかったのだけれど)


イッテQの手越くん。
キャスターもやってる小山くん。
歌がうまい増田くん。
小説を書く、大野さんの釣り友・加藤くん。

基礎知識はそれくらいしかなくて、でも行かない理由もなかった。もちろん、答えはYES。


その日のうちにNEWSのアルバムをごっそり借りて、2週間で聴けるだけ聴き込んだ。
放課後にはC&Rの練習もした。


とっても、楽しかった。

初めて知る曲でも歌割りが分かることがおもしろかったし、6人の曲も4人の曲も新鮮だった。
当たり前だけど、NEWSにもいろんな音楽があるんだなあと知った。

数日後には「White」のライブDVDを見せてもらって、とんでもなく驚いた。


か、顔がいい!!!!!!!!!!!!




もちろん、ジャニーズのコンサートDVD自体が初めてだったわけではない。
でも嵐は「嵐」のコンサートとして見ていたから、「ジャニーズのコンサート」と思ってDVDを見るのは初めてだった、という感覚。…うまく言語化できないんだけれど。

とにかく、画面内でずっとイケメンが歌ったり踊ったりしていて、楽しさしかない空間が最高だった。あっという間の3時間だった。


視聴後に感想をぺちゃくちゃお喋りしながら、「私がうちわを持つなら小山くんだろう」と呟いた。奇しくも誘ってくれた3人の友達はそれぞれ手越担、増田担、加藤担だった。4人でNEWSになるじゃん!!!!カラオケ行かなきゃ!!!!と大盛り上がりした(笑)

ここから、私とNEWSの物語が始まった、ように感じる。(壮大な幕開け感)











2016年6月12日。
「NEWS LIVE TOUR 2016 QUARTETTO」東京オーラスの日を迎えた。


席を伝えられて、集合場所の22ゲート前でひっくり返るかと思った。

初めてのアリーナ席だった。


震えながらドーム内の階段を降りていった。
迫り来るセンステ(実際はこちらが向かっている)に怯えながら歩いた。歩いても歩いても辿り着かないんじゃないかと不安になったところでようやく席が見えた。センステ真横の前から6列目だった。身体が震えた。開演前の東京ドームで刀剣乱舞をプレイする友達の横で、ひとりで自分を抱きしめていたように覚えている。そうじゃないと、余りにも畏れ多い夢で、目が覚めたら自宅最寄駅に向かうまでの交差点で車に轢かれてるんじゃないかって思ったから。




そして、コンサートが始まった。

楽しくて楽しくて、たまらない3時間だった。



アルバム曲はどれもかっこよかった。練習したシングル曲でレスポンスが出来たことも最高に嬉しかった。特効の炎の熱さを感じてその距離に震えた。

真っ白いペンライトの海の中で聴いた愛言葉は、曲名のとおり愛しかない世界だった。
NEWSとファンの方の間に流れるあったかさで思わず涙が出た。今でも忘れられない景色。


外周フロートのスタート地点にいた私たちの目の前で、あのNEWSが、手を振っている。
楽しいコンサート中も心の片隅にあった「部外者感」がホロホロと溶けていくのが分かった。今この瞬間、私は紛れもなくNEWSが好きだなと思った。
10mもない距離で、私の口からこぼれたのは「慶ちゃん!」だった。あぁ、楽しいなあ、伝わるといいなぁ、と思ってからはたくさん名前を呼んだ。


手足がしなやかで、よく笑って、可愛さを爆発させたと思ったら、立ち眩みしてしまうほどセクシーで、仕切りに回るけど本当はきっとずっとわちゃわちゃふざけてたい人で、優しすぎるくらい優しくて、誠実な人だなと思った。

「明日からもまた頑張ろう」の一言が、その時の私にはとんでもなく眩しいパワーになった。

また来たい、そう思った。










そして1年後、私はまた東京ドームに立っていた。

また、来れた。
安堵感と喜びで胸がいっぱいだった。


ツアー前にいろんなことが起きていたことは薄々知っていたけど、その当時は学校生活が忙しくてSNSもニュースもあまり気にしていられなかった。でもやっぱり、目に入ってしまうことはあって、まるっきり不安がない訳でもなかった。

オーラス独特の雰囲気に加えて、ファンのいろんな気持ちがごちゃ混ぜになった空気はいつもよりも熱を帯びていたように感じた。



「ニャン太」を歌う小山くんを見て、唐突に "この人を守らなきゃいけない" と思った、あの衝動。

アンコール終わりに顔を隠して出てきたテゴちゃんたちに "今、どうしても伝えなきゃ" という一心で声を枯らして歌った U R not alone。



体験したことのない熱気だった。
何も知らない人が見ていたら異様だとすら思うかもしれない、危ないけれど力強い熱だった。

あの場にいた多くの人が同じ気持ちだったとは思わないけれど、それでもあの時の私は、私たちは、目の前の4人に何かが届けばいいと願って、それが彼らの力になるようにと願って、ひたすらに歌っていたのだと思っていたい。

こんな風にしか想いを伝えられないなんて、なんて泥くさいんだろう。

こんな風に想いを伝えられるなんて、なんて泥くさくてかっこいいんだろう。


何度転んでも、回り道しても、這いつくばってでも、障害物を乗り越えときには味方につけて、互いに手を取り合って歩もうとするNEWSとファンの絆が、私にはとても羨ましかった。

この時初めて、自分のことをNEWS担だと言えたらいいな、と思ったのだ。







この後、私生活での問題が立て続けに起き暗黒の日々が続いたなかで、嵐とNEWSは大きな生きる目標だった。

基本理念として掲げている「いつ死んでもいいように楽しいと思える選択をする」という毎日を過ごすことができないフラストレーションは大きくて、大学まで行っても授業を受けられない心の不安定な日なんかもたびたびあった。


そんな時に聴くNEWSの音楽は、いつも私の隣にいてくれた。荒れた心の波がおさまっていく、そのたびに感謝でいっぱいになった。

"ちゃんと、NEWSのファンになりたい"


何度も思ったけれど、自分でもその "ちゃんと" が分からなくて、考えることでまた憂鬱になるのが怖くて、だったらこのままふわふわ楽しんでいたいという気持ちが膨らんで、そんな風に揺れながら1年を過ごした。










2018年5月20日

NEWSのライブに誘ってくれた、女神である友達*2に導かれて、私たちはスタンド1列目に座っていた。

ありえない気持ちでいっぱいだったのと同じくらい、何かが変わるかもしれないという予感があった。



「EPCOTIA」での宇宙旅行が始まった。


3度目となったNEWSは昨年にも増して、色っぽさと華やかさを身につけていて、何度も息が止まりそうになった。

ステージに堂々と立つ慶ちゃん*3は自分のセックスシンボルとしての仕草をとてもよく理解しているうえでのソロ曲を魅せてくれるし、それなのにめちゃくちゃに可愛い笑顔も見せちゃうし、相変わらず手足のしなやかさが世界一だし、いつも少し泣きそうな歌声に力強さが加わっていたしで、感情が大忙しだった。

MCでの15周年ライブ開催発表も、心から素直に喜ぶことができた。本当にちょっと、泣いた。嬉し涙だった。


決定打となる瞬間が着々と近づいていた。



コンサート終盤、トロッコに乗って会場を巡る4人を見上げながら、2年前と同じようにたくさん名前を呼んだ。ありがとうが伝わるように。

慶ちゃんの乗ったトロッコが目の前を半分ほど過ぎて、こちら側を向いた。
隣の友達が私の目の前にファンサうちわを出してくれた。4人で名前を呼んだ。

ふと下の方を見た慶ちゃんが、ちょっとニコッとしながら投げキッスを落としてくれた。


目が合った。そう感じた。


目の前がスーッとなって、それから一気に顔が熱くなるのが分かった。
言葉を失った私を、同じく言葉を失った友達が見つめていた。

一瞬の静寂をおいて、膝から崩れ落ちる。

友達の歓声を遠く耳にしながら、瞬間なんども慶ちゃんの笑顔がフラッシュバックした。
何十万人ものファンのなかで、きっと何万人ものひとが彼からファンサを貰っている。慶ちゃんには特別な出来事ではなくても、でもあの瞬間確かに目が合って、コンマ何秒だったけれども、私と慶ちゃんの空気が存在したということ。

あまりにも壮大なストーリーだった。
だって、そんなの、自覚しないわけがなかった。

「お前、俺に惚れてんだろ?」って聞かれたら「惚れてるよ」って返すしか、ないじゃない。


NEWSを、小山慶一郎という人を、
応援したい。彼らと共に歩んでいきたい。







ツアーが終わってもその思いは変わらず、むしろ強くなる一方だった。
気付いたら2週間、NEWSの音楽しか聴いていなかった。それは、自分がどの選択肢を選ぶであろうかを指し示していた。


ファンクラブに入って、それからこのはてなブログのアカウントを作った。


私の周りには嵐を通じて出逢った友達がたくさんいた。彼女たちに伝えるべきだろうと思ったのに、文字を打つ指は動かなかった。彼女たちのなかでも掛け持ちをする子や別のグループを応援している子は何人もいた。でも、いろんな経緯を文面だけでは伝えるのが難しくて何日か悩んでいた。



そんなとき、あの出来事が起きる。


それは体験したことのない類のものだったから、自分がどんな感情でいるのか、自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、何も分からなかった。

暫くの活動自粛が発表された日はバイトが夜遅く、おまけに雨が降っていた。
疲れた頭でラインを開いた手が止まった。私のなかに佇んでいたのは、深い哀しみと虚無感、少しの絶望とさらにほんの少しの希望だった。


数日間、ネットニュースだけは開かないように気をつけながらSNSを巡り歩いた。

実に様々な意見が飛び交っていた。

悲しむ声も、怒る声も、前向きな声も、呆れた声も、とにかく文字を追いかけた。
この感情に名前をつけたかった。


19の私の中では、弁護士と検察官が1秒も休まず激しくぶつかりあっていた。
慶ちゃんという人を私なりに理解したいと思っていた矢先の出来事で、考えるという機能がボイコットを起こしていてその討論に結論が出せるような状況ではなかった。


3日経ってとにかく何かアクションを起こさなくてはという意識が戻ってきて、every.とビビットの動画を見たとき、私の中に最終的に残っていたのは、凪いだ海の景色だった。

嫌いには、ならなかった。




新参者が何を、と思われても仕方ない。
お花畑野郎だと、笑われても仕方ない。

6人のNEWSも知らない、グループ活動休止期間も知らない、過去のさまざまな憶測も報道も知らない、それは疑いようのない事実だからだ。


でも、私は自分の感覚を信じたかった。
それは、嵐が教えてくれたことだった。


ファンはアイドルと同じ道を歩いているように思えるけど、その道は交わることはない。
何が事実かを私たちは永遠に知ることはできない。だって、私は所詮ファンでしかないから。



だから私は、彼らが架けてくれた橋を渡る。
橋の上から見えた景色を信じる。


私がNEWSのコンサートで見つけた景色は、幸せそうに笑い合う4人とファンの笑顔だったから。そんな景色を、もっと、できればずっと見ていたいと思った。





いろんなことを考えた20日間だった。

買ったままになっていた美恋DVDを少しずつ見進めながら、前向きな可能性を想像する日も、後ろ向きな可能性が頭から離れない日もあった。今の私にできる範囲でいいからNEWSと向き合いたいという想いで、考え続けた。


好きだという気持ちは変わらなかった。
きっとこれが、今の私の心の底からの答え。






先週は嬉しいことだらけだった!

初めてNEWSのCDを買った。
心を決めて聴いた「BLUE」は最高に楽しくてカッコよくて誇らしい音楽だった。
通常盤のカップリングがこんなにオシャレだなんて、NEWSは天才なの????とデレデレに褒め称えたい。そうです、天才なんです!

恐る恐る再生したMVは、どこまでも顔が美しい4人がいて時空が歪んだのかと思いました。(?)
あーーー顔が良いって正義!かっこいいも正義!かわいいも正義!好きになれてよかった!


こんなふうに自分が彼らのことを好きでいるのを受容できていることが、何よりの喜びだった。

慶ちゃんを見つけることができて、よかった。






私にとって、嵐や大野さんとの出逢いは「人を好きになる幸せ」を教えてくれた。

NEWSや慶ちゃんとの出逢いは、「アイドルを好きでいるとはどういうことか」を問うてくれた。


まだまだ短い年月だけれど、彼らとの出逢いは私に必要なものだったのだと断言できる。

大切なものは少ないほうがいいと思っていた今までの私に、寄り添ってくれる存在でいてくれた。誰かを好きでいることの素晴らしさを教えてくれた。



永遠は信じない。
だけど、できるだけ長く一緒にいられることを信じているよ。

出逢ってくれて、ありがとう。
嵐とNEWSを、大野さんと慶ちゃんを好きでいられて幸せです。













これは、私のための記事にしよう。

嵐が好き、そのうえNEWSを好きでいてもいいのかと悩んでいたこれまでの私に、
誰かを好きでいることに正解なんてないからと、自分の気持ちに素直にいていいんだと、ここにいる今の私から伝えたい。


そして、慶ちゃんへ。

これからもどうぞ、宜しくお願いします。





このブログを書き終えたら、手紙を書こう。

あなたを好きになれた喜びを、
あなたが笑ったときの嬉しさを、

今の私が伝えたい精一杯の想いを。


どうか、届きますように。

*1:福岡オーラスのタイムカプセルは何回見ても泣きそうになる

*2:世の中にはこんなに席運が良い人もいるんだなと思った。彼女と行ったV6のコンサートでも2階席だった私たちの横の階段を6人が通っていって記憶を無くしたことがある。

*3:今思えば年々呼び方が変わっていることで、自分の心境の変化に気付くべきだったのかもしれない